小山高専に不合格
私は、関東出身で父が高専出身であったこともあり高専に少なからず興味を抱いていた。
コロナ禍の8月に小山高専のオープンキャンパスへ行き「高専に行ってみたい」と決心した。
そこから受験まで必死に受験勉強に励んだが実らず小山高専には落ちてしまった。
中学生のときは1年生のときから成績はあまり思わしくなく推薦入試のボーダーも超えられない成績だった。
ただ、小山高専は非常に倍率が高いということもあり成績状況から見ても合格は難しいであろうと思っていた。
なので、あまり悲観はしなかった。
合格ができなかったのでさっさと気持ちを切り替えて県立の工業高校の入試準備に取り掛かった。
試験自体は小山高専より全然簡単でびっくりした思い出は懐かしい。
ふと見た二次募集のページ
無事に県立高校入試も終わりホッとしたときにふと高専機構の二次募集のページを見つけた。
そこには、5つくらいの高専が二次募集をしているとのことだった。
しかし、県立高校を受験してしまった以上その県立高校の合格発表日前までにそのいずれかの高専の合格通知を受け取らなければならないという制約がありその制約に問題がなかったのが釧路高専だけだった。
「受けられるのであれば受けてみたい。」という思いだけで親や中学校の担任に頼み込んで受験させてもらえることになった。その時点で釧路高専の二次募集締切まで1週間を切っていたと思う。
そこからは、いろいろと早かった。
面接の練習2回程度、技術者についての作文作成などと怒涛の1週間だった。裏では、担任が必死に調査書の作成、校長の相談などと大変迷惑をかけた。(本来は1週間程度での準備はできないのだそう)
そして合格
まさか合格するとは思わなかった。
この言葉は、私、親、担任の3者全員が発した言葉。
面接も、あまり上手にはできなかった。
面接内容はほとんど忘れてしまったが多分、総務課か学生課の人が面接官でZoomでの面接だった。
一番心に残っている質問が「数学の成績が思わしくないですが、高専の数学はもっと難しいです。どのように考えていますか?」という質問で「高専の数学は難しいということは承知しています。なのでしっかり勉強していきたいと思っています。」みたいなスカした回答をして「あ、これは落ちたな…」と思っていた。
1週間後くらいの合格発表で1週間ヒヤヒヤしていた。
Webでの発表で私と親が一緒に合否結果を確認した。
なんと、私の受験番号があるではないか!
急いで担任に電話したところ驚きが隠せていなかった笑
無事に釧路高専へ入学できることになったがこれは後悔の序章に過ぎなかった。
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